閣下が不用意に打たれたblog

噴火で変遷する西之島の火口や海岸線、暗礁などの海底地形等の図を衛星画像や各種資料から作成してます

銀河岩礁と西之島の失われた火砕丘

西之島の合成空中写真1997年版(海底地形観察向け)

 このブログのほぼメインコンテンツである西之島の海底地形である暗礁。平成の西之島噴火は激しさを増し、今まさに新しい溶岩流によって暗礁はもちろんランドマークとなっていた岩礁も沈みゆこうとしている。

大切なものでも視界から消えたり埋めたりすると忘れるのが自分。もう一度過去の痕跡である暗礁について考えてみたい。

暗礁を確認できる方法は過去の空中写真か衛星写真しかない。この特徴は、

  • 衛星写真は暗礁の全体的配置を把握できるが細部は分らない。
  • 空中写真は暗礁表面の模様らを確認できるが、太陽の反射の影響を受け確認範囲が狭く なりやすい。

こんな感じであるが、西之島の暗礁の観察に丁度良い状態の空中写真を入手しました。

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 元データは海上保安庁の1997年09月09日撮影の空中写真で、国土交通省の空中写真を総括検索するシステムから。

航空写真画像情報所在検索・案内システム

 これを太陽光の海面乱反射の少ない箇所でつなぎ色合いを変更して合成。

この写真には、どうも自分の暗礁図に載ってないものも写っているようです。海面も穏やかで、なかなか優れた写真ではないでしょうか。

--繋ぎ合わせの部分は色々写っていますが技術が不足しているので今は勘弁。きれいなものはまたいずれ作ってみます・・--

西之島の有史以前の溶岩流について

さて西之島には昭和噴火以前の噴火の記録は公式にはないけども、今回は写真からの判読を主に北に点在する銀河岩礁群付近の暗礁の成因について考えます。 

ここからはほとんど想像です。

主な溶岩流と溶岩流出口の検討

西之島旧島から水深の浅い部分が北東-東方向に広がってるが、この中に銀河岩礁群がある。水中で明るく見えているものは暗礁で、水深はおよそ5m~15m程度。これらの暗礁は西之島の平成噴火から比較想像すると、何らかの理由で沈降した溶岩流の痕跡だと考えられるので、ここでは旧溶岩流と呼びます。

旧溶岩流は大まかに日光島と月光島を中心とした場所と、金星島東50m程度の場所の2か所に起源があると考え、これらを四国状岩礁流出口と金星脇流出口とした。

下図はこれらを記述した銀河岩礁付近-旧溶岩流等検討図。 

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 ベースは上記海保の空中写真で、一部を切り取ってコントラスト等を強調した。銀河岩礁という名前もそうですが、強調するうちに星空のような色合いになりました。地名については主に俗名ですので、本ブログ内など参照してニュアンスで読み取ってください。 

 

各々の溶岩流の特徴を下表にまとめ、 旧溶岩流の流れ方について簡単に結論付けました。

  金星溶岩流 四国状岩礁溶岩流
溶岩流の標準幅 30m 60m
枝分かれ発生の頻度 100m/箇所 300m/箇所
溶岩トンネルの崩落 あり あり
流下の形状 曲線的 直線的

旧溶岩流の性質

軟らかい溶岩が少しずつ継続的に流れた 軟らかい大量の溶岩が一気に流れた

 

金星溶岩流は平成噴火の初期のように、平面的に場所を確保しながら流れていて、また中心線に亀裂があるなど溶岩流として形状が安定している。

四国状溶岩流は全体的に幅広で、流下の向きには下地が凸凹していた影響が見られ、図の番号に対して、

  1. ①は比較的古い旧溶岩流で
  2. ②は①の上に乗り上げた比較的新しい旧溶岩流
  3. ③は途中の溶岩トンネルが崩落して、溶岩堤防のみが残っている状態
  4. ④は未知の火口からの旧溶岩流
  5. ⑤は2次スコリア丘成長前の溶岩流で、最も古い旧溶岩流

このように判読した。

旧天王山 について

木星島の北側には小さいが明瞭で、流下の方向性が定まらない暗礁群がある。これらはだいたい円形に点在し、他の暗礁もこれを円形に避けているように見える。明らかに他の地形とは異なるこれらの特徴から、この場所には旧溶岩流にとって何らかの障害物があったと思われる。

この場所は旧溶岩流の形状から、噴火時点では陸上だったと考えられる。そして今回の平成噴火に類似した噴火だったとすると、この障害物とは火砕丘であった可能性が高い。理由は

  1. この障害物がほぼ円形であること
  2. 内部に岩脈を思わせる不定形の暗礁を含むこと
  3. 溶岩の流出口を脇に携えていること
  4. 平成噴火の初期火砕丘と、想定形状の直径が似通っていること

これらから障害物は過去の噴火時のスコリア丘だと考えた。これをNAM氏の命名から引用して旧天王山としてます。 

想定した旧天王山は 銀河岩礁付近-旧溶岩流等検討図 で構造を3重の点線で表示した。1重目がほぼ中心のストロンボリ式火口、2重目が中程度の1次スコリア丘、3重目が最大時の2次スコリア丘です。  

平成噴火の2月中の火砕丘と溶岩流の関係に類似した形状を想定すると、スコリア丘の寸法は、平成噴火140mと天王山の1次スコリア丘170mに対して大きく異ならない。また 2次スコリア丘全体の寸法も平成噴火260mに対して270mと同様である。

寸法については下図の西之島の平成噴火の形状から、2月ごろの大きさを参照した。

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ベースの画像はH26年2月16日計測の赤色立体図(2014©アジア航測㈱)です。 国土地理院から転用し北方向は左側になるように回転してあります。 

さていかがでしょうか。今回も不用意ながら有史以前の噴火に対する考え方の提示と思って資料を作成しました。合成写真などはもう少しきれいな画像にしたかったし、次の機会には時系列の想像図などにも取り組んでみたいです。

実際旧溶岩流の火口として疑わしい所はほかにもあるし、もっと良いアイデアがあれば伺いたいところです。ご意見ご指摘等あればお気軽にコメント願います。

LandBrowserのクレジット表示 The source data were downloaded from AIST‘s LandBrowser, (http://landbrowser.geogrid.org/landbrowser/index.html/). Landsat 8 data courtesy of the U.S. Geological Survey.